ソムリエ協会機関紙『Sommelier』”石田 博のペアリング探訪記” に掲載されました ~いきさつ編~ 1/

人生、時として予想もしないことが起こる。

ソムリエ協会機関紙『Sommelier』(2022.11.NO189)”石田 博のペアリング探訪記 Series4” に掲載された。つまり、ソムリエ協会副会長 石田博氏が、ここ奈良のリストランテ ボルゴ・コニシ ソムリエ・エクセレンス 山嵜愛子の取材にお越しになったということだ。取材は2022年9月末だったのだが、現在我が人生ダントツ一位のご褒美といっても過言ではない。

ここで石田博氏について経歴をご紹介させていただく。

石田 博氏:1990年「ホテルニューオータニ」入社、1994年「トゥールジャルダン東京」配属。「ベージュ アラン・デュカス東京」総支配人、「レストラン アイ(現KEISUKE MATSUSHIMA)」シェフソムリエを歴任後、2016年「Restaurant L’aube(東京・東麻布 レストランローブ)」開業。現在「ホテル雅叙園東京」顧問、「HUGE」コーポレートソムリエ。(一社)日本ソムリエ協会副会長として人材教育を中心に活動しソムリエ職の地位と質の向上に努める。数々の執筆や著書多数。
2014年内閣府黄綬褒章を受章
1996,1998,2014年 全日本最優秀ソムリエコンクール優勝
2015年 アジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクール優勝
2000年 世界最優秀ソムリエコンクール第3位入賞
2016年 世界最優秀ソムリエコンクールセミファイナリスト 

要するに、スーパーマンです。日本を代表する世界トップクラスのソムリエで、今だトップランナーである上に多くの若手ソムリエを育成するという、類まれな人物である。・・・・このような方が、山嵜愛子の何を取材するというのか・・・・・(失神)

掲載誌である日本ソムリエ協会発行の機関紙『Sommelier』とは、日本ソムリエ協会の会員や関係各社に隔月で送られてくる情報誌である。ワインはもちろん、酒類、関連業界、飲食業に関連する社会情勢や政治経済など業界の”今”と概要を知ることができる。
書店には並ばない。よって当ブログでは今回の取材のテーマでもある私の ”日々の業務やペアリングに対する思想と流儀” を取材体験を交えながらお伝えし、ボルゴ・コニシの活動の一部をご紹介できたらと思う。

それにしても何がどうしてこうなったのか。人生何が起こるかわからない。そもそもソムリエになることも経営の片棒を担ぐことになることも全く予想していなかった。その上、だ。
7月上旬、それは唐突な短いメールから始まった。

ソムリエ協会編集部からのメール、しかも個人宛とは、恐る恐る開いてみた。短いメールの中に目を疑う一文が。
「石田副会長からのご指名ですので、是非取材のご承諾を・・・」

・・・・・・・・なぜだ、なぜだ?ご指名とはどういうことだ、有り得ない!!SNSの個人アカウントも持っていない、故にフォローなどで万が一にも見つかるはずもない。唯一考えられるのは、シェフ山嵜が石田さんをフォローしているからか。それでも、大勢の中の一人であり有名で多忙なスーパーマン 石田さんからすれば気にも留めないはずだ。(汗汗汗)

これについては取材当日、石田さんに半ばドラマチックな答えをうっすら期待しつつ伺ったところ「ソムリエ・エクセレンスで、地方のお店で、こう言っては申し訳ありませんが有名ではない方、つまり広く知られていない方、という条件です」
すっきりと迷いのない大変良い声と紳士の微笑で、爽快な風の如し。
はい、それは間違いなく私です。

さて、メールを受け取りすぐに了承の返信を送ろうとした・・・待て!
書店には並ばないが、逆に読者は専門家比率が高い。お世話になっている業者さんとかインポーターさんとか、ご迷惑になることはないか。それ以前に、石田さんがわざわざ奈良に来てがっかりなんて絶対ナシ!!!

それにこの石田さんの数年に渡る連載は4シリーズ目に入ったところで、ここ数号今までになく一流店が続いている。資生堂パーラー、ジョエル・ロブション、三井倶楽部、そして、ボルゴ・コニシ?????おかしい!ツッコミどころ満載すぎる。誰も石田さんを止めなかったのか?
ちなみに2店舗ずつ掲載されるのだが、ボルゴ・コニシが一緒に掲載されていたのは、星野リゾート リゾナーレ八ヶ岳だった。
これらのお店は前述の石田さんのお店の選定条件に当てはめるとこうだ。「一流店のソムリエとシェフって、どんな人?その人の思想と流儀、私も知りたい、取り入れたい!」これは私の心の声でもあるのだが、それとボルゴ・コニシと、違う!全然動機が一致しない!

「すみません、間違いでした」と言われる前に私は急いで了承した。こんなチャンスは二度とないし、恥をさらそうが構わない。ベストを尽くすまでだ。
シェフはメールが届いた時点で「ヤッター!石田さんに食べてもらえるの、凄い!!あれもいいな~、でも季節が違うか・・・取材の日ってどんな気候?あんまり胃腸に負担かけない方がいいよな~、ワインも飲むし忙しいだろうし。でもあれは外せないなぁ。あ、もちろん取材受けるよね?」
・・・・・料理コンクールでイタリア人シェフに食べてもらえるとわかった時と全く同じ反応だ。

ペアリング探訪の大きなテーマであるソムリエの ”思想” と ”流儀”。リストランテ ボルゴ・コニシのソムリエとして大前提にある流儀は、”まず料理ありき” だ。
シェフの料理選定においてコンクール優勝の栗とラルドのリゾットは必須だったので、提案された取材日の選択肢から栗の収穫スタートに合わせて最も遅い9月下旬にしてもらった。それでも栗が入手できるかどうか、今年の天候にかけるしかない。

準備期間は2ヶ月以上ある。料理は11月掲載を考慮しつつ、シェフ山嵜の ”これだけは食べて欲しいベスト4” 。この際、徹底的にベストワインを見つけることにした。ただ合うワインではなく、料理と合わせることで更に幸せになるワインのロジックを見つける!!

始まりました、目標に向かってひたすらテイスティングとペアリングの日々が。
各料理に合うと思われるワインを様々な角度からピックアップし実際の営業で提供しつつ、休憩時間に取材用の料理を作ってもらって検証を重ねた。
日々の業務をより丁寧に振り返り見直す。基本のテイスティング、グラスと温度による変化、開栓から日々の風味の移り変わりとヴィンテージや醸造方法との関係を探っていく。改めて更に細かく、そのワインの特徴に合わせて料理との組み合わせを絞っていった。

正直、このような検証は通常不可能である。新たな料理を試食する際はグラス提供用に抜栓したワインで、ある程度合う合わないの見当をつけ探っていく。だが、レシピが完成した料理を、ワインに合わせてみたいから何度も作ってもらうなどということはあり得ない。
またワインを開けたからには、ソムリエとして責任をもって売らねばならない。通常は料理ありきだが、今回ばかりは開けたワインに合う料理を優先してコースを組み立ててもらい、フードロスのないよう検証をすすめた。

毎日続けるうち、出るわ、出るわ、自分の未熟さ、いい加減さ、無知さ、ひぃぃぃぃぃ~。恥ずかし、恥ずかし、あぁ、恥ずかしい。

昔から、国家資格などを除いて日本の資格試験というものに懐疑的だった私が、なぜソムリエになったのか。
ことソムリエについては実際見たこともなかったし興味を持つ機会さえなかった。ホテルなどに就職してたまたまレストランに配属されワイン担当になった人をソムリエと呼ぶのだろうくらいに思っていた。
だが、実際は違った。受験する際、既にワインや酒類に関して一定期間以上の実務経験と受験時に現役であることが条件だと知り、先に経験が必要だということに驚いた。合格率も受ければほぼ合格というものではないし、4択のマークシート方式で、受けてみるとわかるが勘ではまず当たらない非常によくできた選択肢なのだ。そしてソムリエ・エクセレンスに至っては容赦のない切り捨てようで、合格率は悲惨としか言いようがない。だからこそ実際本当に役に立つ。
もちろん、資格がなくてもワインを販売して良いしソムリエのような仕事をしても構わないが、有資格と無資格ではそれこそ思想や流儀に差が出てくるように思われる。

資格を取得してからが新たなスタートだ。特に試験のために得た知識は、実務に於いて威力を発揮する。ソムリエとしての思想や流儀は、機関紙やセミナー、ウェブサイトや雑誌の情報、レストランで実際に食事をすることなどから日々取り入れていく。

こうしてワインと無縁だった私がソムリエという職業に出会い、イタリア料理という食文化に携わることで人生が豊かになった。実務では自分の至らなさと改めて直面し卒倒しそうになりながら、現実逃避的にあれこれ考えながらやっと納得できるところまでたどり着いた。石田さんにレジュメを送信できたのはご来店数日前だった。
取材の所要時間は2時間。その間に私たちの経歴、ソムリエの思想と流儀、4皿の試食とワインペアリング、このハードスケジュールをこなすため私の勝手な判断でレジュメを作成した。寸前に頼まれていないものを逆にご迷惑では、と悩んだが取材メモの短縮になればと思い切って送った。
掲載された記事の最後 ”取材を終えて” にこう記されていた。

取材の数日前に送られてきた資料には料理の詳細、ストーリー、ワインのテクニカル情報、ペアリングのアプローチが丁寧に記されていた。ソムリエ・エクセレンスの名に相応しい、まさに卓越した仕事だ。

身に余るお言葉・・・・・。本当にありがとうございました。

・・・・・・つづく・・・・・・・