石田さんとの比較も楽しい、私の経歴を少々。えぇ、生きていれば一応ございます。
取材では話せなかった、というか話さなくてよい小ネタも少々。
広島県出身。大阪の電気メーカーに就職。貯蓄に手間取り(時折手をつけ)予定より大幅に遅れて退職。
クイーンズ・イングリッシュとイギリスでしかできない何かの習得、現地で就労することを目的にロンドンへ。現地で知ったカレッジでウィンドウディスプレイを学び、カリキュラムに含まれていたデパートでのインターンを経験。在学中週末はカナダ人が経営するヴィンテージショップでアルバイトとして雇ってもらえた。オーナーに気に入られ就労ビザ取得。2年弱在住し何を血迷ったか貧乏学生、イギリスでお世話になった全ての人に感謝を込めて、現地で稼いだポンド(当時はユーロ導入前)を全て使い果たし帰国。
帰国後大阪でインテリアショップに勤めた。結婚を機に奈良に移住。中川政七商店に数年勤めた後、既に料理人修行中だった夫の助けになるかもとフランス料理店でアルバイトを始めキャリアスタート・・・・・・30代に入ってる上に主婦・・・・・遅っっっっ!!で、何?この経歴。
ちなみに取材に訪れた石田さんは父親のような存在感だったが、私との実年齢は兄くらいの差しかない。
2007年夫の独立開業時、私はソムリエではなかった。
開店前にお世話になっていた奈良市のフランス料理店『ビストロ ル・クレール』でサービスの基礎と、同店で行われていた月1度のワイン勉強会に参加してワインの基礎を学んだ。ワイン勉強会は近隣のソムリエ資格を持つシェフが集まり行っていた会で、既に10年ほど続いていた。私は独立開業後ソムリエ・エクセレンスを取得するまで10年間お世話になった。フランスワインがメインだったのでしっかりとした基礎を教わることができ、大切な基準となった。
仕事と勉強会を通して自然に料理とワインの”マリアージュ”の楽しさに興味を持った。独立開業はパスタ専門店からスタートしたが、パスタとワインを気軽に楽しめるお店が近鉄奈良駅徒歩1分にあったら楽しいし嬉しい♪と思い、ワインを扱うことにした。
オープン時はソムリエ試験の受験資格にさえ達していなかった。教本などを見てもよくわからなかったが、ソムリエっていうのは各国のワインを自由自在に料理と合わせることができなければならぬと理想だけは高かった。試飲会に行ったりインポーターの協力を得てワインメニューを作った。『もし私がパスタ専門店のソムリエだったら』メニューである。イタリア、フランス、ドイツ、ポルトガル、アルゼンチン、チリ、南アフリカをラインナップ。今思えば、ナイスファイト!!
インポーターの営業マンは「パスタ専門店でワインは売れませんよ、正直!いや~、無理だと思うな~」と逃げ腰で「あら、そうなんですか?すぐにお支払いしますから。あと、売れなければ私の責任ですから大丈夫です」卸してもらえなかったら元も子もない、必死でお願いしたらいろいろアドバイスをしてくださった。
なければ売ることができないが、あれば売ることができる。意外と売れた。お昼でもパスタとワインを1杯。老若男女、ご近所さんも旅行者も、平日も休日も。だって、私だったらこういうの休日にしたかったもの。休日って人それぞれで土日だけではない。
パスタ専門店とはいえ、近鉄奈良駅徒歩1分で本当にパスタだけではさすがに不便だし面白くない。前菜、メイン料理、デザートも用意した。いずれも好評だった。そして、前菜からメインまで自然にワインの注文をいただいた。
驚いたことに、お肉に白ワインを所望されたり、魚料理に赤ワインと言われ、そんなことがあるのか!と目から鱗だった。試飲会に行っては来日したワイナリーの方にお肉に合う白ワインがないか聞いて回ったり「リグーリアの赤ワインは魚介にもいいですよ」と言われれば、やっと見つけた!と狂喜したり、まさに手探り状態。
そして、知識と経験が少なすぎるソムリエモドキなので試飲会でいちいち飲まなければわからず、近鉄奈良駅に帰り着きそこからたった徒歩1分の店まで帰れず、駅の改札内のベンチで夕方寝たことあり!職質ものだが30分ほど気を失って(爆睡して)目が覚めたら平然と楽しく談話している観光客に囲まれていた。日本って素晴らしく平和。
そうして少しずつワインメニューも自分なりにブラッシュアップしていく内、お客様の反応が変わってきた。イタリアワイン以外を喜んでもらえなくなったのだ。そして、アラカルトよりコース料理の要望が増えていった。
気が付けばワインメニューはほんの少しのフランスワインとイタリアワインになり、ソムリエ資格を取得した2010年にはイタリアワインのみになった。
イタリアワインはご存知の通り、20州全土で生産されており、その州ごとに代表的ブドウ品種とワインを有する、まさに ”エノトリア・テルス” つまり ”ワインの大地” である。その20州からワインを選ぶことはまるで旅をしているような気分。
世界旅行も素晴らしいけれど、統一して150年ほどのイタリアは20州の文化的個性が大変魅力的な国でワインを選ぶ際、文化や歴史、地理から食文化を読み解くことは非常に楽しい。
記憶力がまるでないため社会科と歴史が最高に苦手科目だった私には、考えられなかった自分の未来である。
既にソムリエの仕事は天職だ!と思っていたので合格は本当に嬉しかった。しかし、即座に気付いてしまった・・・え・・・終わってない・・・いわばワインカタログの目次が読める程度になっただけじゃん・・・。20代に修行していないしシニアソムリエ(現ソムリエ・エクセレンス)は必須だ!!
合格してから知ったソムリエ協会の会員に登録した。機関紙”sommelier”とセミナーから、全国のトップソムリエ、酒類生産者、シェフ、他業界のスペシャリストの思想と流儀を吸収した。ワイン専門誌やウェブサイトからも情報を集めた。
また、当時シェフがリストランテ イ・ルンガでのスタジエを始めて半年ほど経っていた。堀江シェフの精神からリストランテの真髄をここ奈良で目の当たりにできたことは、今でも奇跡だと思っている。
志は高く!ソムリエモドキの時からグラスワインでも ”マリアージュ”(結婚=調和している状態)を提唱した。説明しなくともマリアージュといえば料理とワインをコーディネイトしていることが伝わると思っていたが、雑誌などで目にする割に全く浸透していないことを知り驚いた。
知られていないならこれ幸いと、イタリア語の ”アッビナメント”(連結、結合)を独自に浸透させようとした。説明が大変になっただけだった。
2015年ソムリエ・エクセレンス取得。
そして現れた救世主のような言葉 ”ペアリング”
カッコつけても伝わらなければしょうがない。マリアージュ、アッビナメントで苦労したことが嘘のよう♪と喜んだ。2017年にワインペアリングコースをメニューに載せた。2年ほど経ちいよいよ浸透してきたと思ったのも束の間、雲行きが怪しくなってきた。
ペアリングの注文を受け提供してもペアリングが成り立たない。
ペアリングという言葉は確かに定着したが、マーケティング用語として浸透し暴走を始めた。
なくなったら注ぎ足すというお店もあるので、飲み放題と勘違いする人。料理とワインがどう合うのか実は興味がないため、料理とのペースを合わせることが理解できずペアリング総崩れの人。ペアリングコースを注文し「じゃ、最初は泡からいきましょうか」とご自分でペアリングを始める人。二人で同じワインを飲むから“ペアリング”だと思っていた若いお客様も・・・可愛い・・・。
料理との相性ばかりではない。料理の仕上がりのタイミングに合わせて、グラス選びから温度や量、飲み頃まで考慮して出したワインが、目の前でただ消費されていく光景。ワインと全ての生産者に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
お客様からすれば流行っているから頼んだだけなのに、ルールを押し付けられたような堅苦しさを感じていたかもしれない。
海外では日本のペアリングを “テイスティング(試飲)コース” と半ば揶揄していると知り、まさに私が日々感じていた違和感がそこにあった。腑に落ちた瞬間、2020 年メニューからペアリングコースを削除した。2017 年にオンメニューしてからやっと認知度が高まったタイミングだったが、迷いはなかった。
現在ペアリングはレストランに限らず、コーヒーやチョコレート、デザートなどの業種でも聞かれるようになった。
ペアリングコースがメニューに明記してあろうがなかろうが、私はモドキ以来変わらずグラスワインでもカラフェ提供でもボトルでも、頼まれなくてもアッビナメント、つまりペアリングを考慮してワインを選びお客様に提案してきた。ワインは食事と共に食卓にある、それがイタリアの食文化であると理解している。
アピールはせずさりげなく、ワインの説明は一言で。お客様が余計なことを考えず、各自自由なペースで好きなように楽しめるよう水面下でペアリングすることが、私の今のソムリエスタイルだ。
ペアリングの取材なのにこれじゃ詐欺!とならないよう事前のレジュメに明記したのでご安心を。そして石田さんの記事にはこう書かれていた。
多様性と地域ごとの食文化はイタリアの大きな魅力、それを少しでも伝えたい。ワインと共にあって料理が完成するとも考えている。ペアリングは飲み手に時に重圧をかけてしまう。グラスワイン、カラフェでお客様のペースに合わせてご用意したものが料理と楽しめる、という形を取っている。
完全に私が言いたかったことをたった数行で・・・。
恐れ入ります。
・・・・・・つづく・・・・・・